俳優、インタビュアー、MC、そしてプロデューサーとして、多彩な道を切り拓いてきた山内秀一さん。カメラの前と裏方の両方で長年経験を積み、バンド歴が長い人気アーティストから新進気鋭のバンドまで、様々なアーティストの活動を盛り上げるヴィジュアル系シーンには欠かせない存在です。今回のインタビューでは、彼の初期の俳優活動から現在のヴィジュアル系シーンへの貢献に至るまでの道のりを探るとともに、インスピレーション、夢の実現、そして現在のヴィジュアル系の状況についての考えをお聞きしました。
ー まず最初に、お仕事以外のことで、山内さんご自身のことを少し自己紹介して頂けますか?
昭和62年生まれの37歳の普通の男の子です(笑)一人っ子で育ち、22歳で大学を卒業し…本当に一般的だと自分では思います。子どもの頃はお勉強こそ出来る方でしたけど、運動とか音楽、美術は全然ダメで自分のコンプレックスです。モテる方でもなかったし、大昔に合コンとかも嫌々で2回くらいは参加したことありますけど、とにかく盛り場が苦手です。ただ、お友達でいうと同性異性問わず多いタイプな気がしますね。アルバイトはコンビニとか警備員はやったことがあるのですが…というか警備員のバイトはまだ所属していて、今年も実は2回働いてます。苦しい時期を救ってもらったので恩返しをしたくて“辞めない”を目標にしてますけど、今年は特に仕事以外にプライベートがほぼゼロの生活をしているのでこれと言って貢献は出来てないですね。一人旅が好きなので休みができたら国内旅行でもしたいです。格闘技観戦もしたいですね。

ー 山内さんは若い頃から俳優としてキャリアをスタートされ、近年では俳優業に加えて、音楽業界でイベントや番組のMC、プロデューサー、インタビュアー等としても活躍されています。子供の頃からクリエイティブなことをやりたいという夢があったのでしょうか?それとも自然とそのような道に進んだのでしょうか?
子役で10歳の時にデビューしてるんですけど、言っても10歳なので、芸能事務所にスカウトされたから、ただ“やる!”ぐらいの軽い感覚でした。クラスの学級委員に立候補するぐらいのノリで志なんてなかったです。芸能を始める時は親にもすごく反対されたのを覚えてます。次第にキャリアを積んで中学生ぐらいの時には幸運にもある程度の知名度もいただいて、演技に対するクリエイティヴィティや哲学は自然と生まれてました。音楽でいうところの変拍子じゃないですけど、あえて自分のツボじゃない間で、自分の気持ちよくないトーンでセリフを言ってみたりとか、必死に独自性を生み出そうと模索はしてました。でも、その時点で夢ではなく目の前の現実だったのでとにかく必死でした。学校のテストも頑張らないといけないし、超過酷なスケジュールで(笑)そんな時期にヴィジュアル系の音楽や雑誌を目にするようになっていった記憶があるんですけど、そこで気になったGacktさんの「Gackt LIVE TOUR 2001 Requiem et Reminiscence ~鎮魂と再生~」のLIVE DVDを観たのが僕の人生の始まりで。アルバムや歌詞の世界観、ステージ演出の全てが掛け合わされたドラマになっていて、あの総合芸術力を喰らった時に、日々自分が取り組んでるテレビドラマや映画の世界よりもすごいものがあるってことに気がついてしまったんです。それからは“Gacktの表現を超えないと芸能界でトップにはなれない”ってずっと意識してました。でも、その時期にそういった魅力を伝える専門誌に出会えたのは今のインタビューアーワークにも繋がっていると思います。

どんなに自信があるものでも、人目に付かなければダメなんだなって心臓に刻まれてます。
ー 俳優業から、音楽など俳優業以外のエンターテインメント業界で働くようになったことは、山内さんにとっても大きな変化だったのではないかと思いますが、そのキャリアの変化の過程について少し詳しく教えて頂けますか? 困難と予想外なことはありましたか?
これは公言していることですが2022年に始動したラジオ番組「#V系って知ってる?」のパーソナリティにDEZERTのSORAくんが僕をプッシュしてくれたことが全てです。当時は僕もよくわかっていなかったのですが、その番組はヴィジュアル系専門メディア“びじゅなび(現:VISUNAVI Japan)”の番組という立ち位置で、そこから流れに身を任せていたらいつの間にかVISUNAVI Japanのプロデューサーになってました。僕のキャリアは常に強い志じゃなしに、流されるままなのでカッコ悪いですね(笑)でも、それもまた人生だなって思います。SORAくんとは10年以上前にコンビニ夜勤を一緒にやっていたので、彼がDEZERTとして登りつめていくタイミングと、自分が俳優として力及ばなくなってきているタイミングが重なってたんです。だから年下だけど、尊敬しているところがたくさんあります。僕は2020年に所属事務所を辞めたんですけど、その直後にコロナ禍と直撃して警備員のアルバイトを始めることになったんです。当時はマジで週5日バイトでした。ここから人生どうなるのかなって不安だった時、それこそ真夏に灼熱の新大久保でバイト終わったらSORAくんからめちゃくちゃ着信が入ってて、折り返したら“山さん、大事な話がある。もうバイトしなくていいよ。来週会おう”って。そこから色々と転がりだして今があります。勝手も何もわからない世界だったので、全てが困難でした。予想外だったのは、若くてかっこいいバンドがたくさんいたことです。あ、これならこの業界で闘っても勝算はあるなと思いました。自分の中では俳優業を棄てたわけではなくて、表現する武器が増えていってる感覚です。

ー 元々は俳優としてキャリアをスタートされ、そして大部分は俳優として過ごされましたが、俳優業での経験は、他の活動にあたり、役に立ったと思われますか?もしそうであれば、どのように役立ったのでしょうか?
俳優・タレントであることが僕のアイデンティティだと思います。納得のいかない演技をしてしまっても、視聴率25%のドラマに出てると持て囃されるんですよ、やっぱり。一方で自分手動で舞台やトークライヴを開催するようになった時期に、内容も動員も自信あるのに一人も関係者が来なかったことが辛過ぎたんです。この経験が僕の糧になっていて、どんなに自信があるものでも、人目に付かなければダメなんだなって心臓に刻まれてます。
今は若いバンドさんとお仕事することが多いんですけど、本当にかっこいいバンドが多いんです。でも、そのステージを観に来ている業界関係者が少なすぎますね。こんな状態じゃ良い音楽も腐ってしまう。現場が全てではないけど、真実は現場にしかないんです。だから時間が許す限りライヴを観るし、自分なりに受け止めて咀嚼してます。一番の晴れ舞台であるライヴも観ずに、解像度の低い机上の空論でうだうだやってるうちにヴィジュアル系終わっちゃうけど大丈夫?っていう危機感を持てているのは、かつて不遇だった自分のお陰でもあります。あの頃の悔しさが今の自分に役立っているし、そういう余計な悔しさを、僕が仕事しているバンドの人たちには絶対に味わってほしくないです。
ー 山内さんにとって、アーティストにインタビューをする際に最も大切にしていることは何ですか?また、世界中のアーティスト、俳優や著名人の中で、是非インタビューしてみたいのはどなたですか。その理由もぜひ教えてください。

企業秘密です(笑)。でも、当たり前ですけど、自分の導きたい方向に誘導しないことです。あとインタビュアーもラジオパーソナリティーも口数が少なければ少ないほど良いと思う。一言も発さずに“よろしくお願いしまーす!”だけで成立させられたら究極だなって。まだまだ下手くそなんで結構喋っちゃうんですけどね。インタビューしたい人……そうですね、アーティストの親族の方ですかね。親御さんとかご兄弟とか、DNAにまで深く切り込んでいきたい願望はあります。若手でMAMA.っていうバンドがいるんですけど、MAMA.のママ達の対談とかやりたいです(笑)でも、僕にインタビューしてほしいって言って下さる方が、その時点で最もインタビューしてみたい対象です。こっちも経緯と敬意がないと出来ないですからね。
ー 山内さんは俳優、プロデューサー、インタビュアー、番組とイベントMC等、様々な役割をもっていらっしゃって、とても多忙なのではないかと思いますが、ワークライフバランスについてはどうお考えですか? また、複数の活動を行いながら成功を維持するためのアドバイスがあれば教えてください。
逆に教えて下さい(笑)正直このままのスケジュールで健康に生きていけるとは思っていないので、休息の摂り方を作っていきたいです。40歳手前にもなって馬車馬のようなスケジュールで働いて倒れましたなんて全然ダサいと思うので、これは課題です。そういう点では今の自分はダサいと思います。そういうプロダクト作りもできないと表現のプロではないですね。アドバイスする立場ではないですが、若い方は周囲の人間との調和、分担は早くからトライした方が良いと思います。

ー 山内さんは俳優、ミュージシャンやアーティスト、様々な出会いがあったのではないかと思いますが、一番印象的な出会いについて教えていただけますか?
岩井俊二監督は印象深いです。14歳の時かな?映画「リリイ・シュシュのすべて」でご一緒させていただいて、いくつかあったシーンの一つはセリフがなくて居眠りしてるだけのシーンだったんですけど、岩井監督から“足をポリポリ掻く仕草入れて”って演出された瞬間にそれまでの演技観が全部変わりました。夏の夜の設定だったんですけど、足を掻くってことは映像には映らないけど、蚊がいるってことじゃないですか。だったら線香も焚いてるかも知れないから、鼻をくしゃくしゃさせる芝居を追加しよう…とか、1つのアドバイスで10~20個ぐらい先のレンジまで芝居の奥行が変わった瞬間です。表現する仕事って徐々に成長するケースもあれば、ある日一瞬で様変わりすることもありますけど、そういう貴重な経験をさせていただきました。
あとこれはもう絶対ですけど、MUCCのYUKKEさんですね。VISUNAVIの月1取材企画あたりからよくご一緒させていただいてますけど、YUKKEさんって、「MUCCのYUKKE」とインディーズ時代の「ムックのYUKKE」の両方の目線から若いバンドや今のシーンを捉えて下さってる気がするんです。それでいて優しいし、いまだにアイデアがトリッキーだし、常に刺激と安心を与えてくれる偉大な存在です。僕も含め若いバンドもふと気が付いたらYUKKEさんの周りにぞろぞろ集まってます(笑)自分に与えてくれた影響を考えるとMUCCって神様なんですけど、YUKKEさんは神様っていうよりは、“神お兄ちゃん”です(笑)逹瑯さんも、ミヤさんもそういう感じです。こっちは尊敬しまくってるけど、そういうのを飛び越えたところで会話して下さるので、何が大切か背中で教えてくれる存在です。

ー 今までのキャリアで一番苦労した時期はいつでしたか。そしてそれをどうやって乗り越えましたか?
時効ですけど、11歳の時にドラマで38時間貫徹撮影してたので、それです(笑)やばかったです。あの経験が確実に今に活きてます。でも、一番苦労したのはTBSの「大好き!五つ子」シリーズが終了して数年後以降です。仕事も人気も落ちてきて、それに伴って自分の意志がブレた時期ですね。もともと抱いていた“人の人生に残る芝居をする”が、気が付いたら“キャスティングスタッフさんが気になる存在になる”に意識が向いた時です。時間もお金もないし。オーデイションにいって暴れて会場の壁蹴って穴開けたりとか、審査してる人のパソコンをブン投げたりとか…悪夢でしたね(笑)今でこそ肯定しないけど、どうやって生き残るか爪痕を残すかとにかく必死だったんだと思う。うん、そういう意味ではずっと苦しいです。今も全然苦しいです。
ー キャリアを始める前に知っておきたかったことや、やっておけばよかったなということは何かありますか?
ないです。用意したものだけでは闘えない世界なので。

各業界、専門的な知識を積むことよりも最後は情熱だと思ってます
ー 山内さんは俳優であったり、プロデューサーであったり、どちらも多くの人が夢見るキャリアですが、山内さんが目標や夢を達成するために、どのようなプロセスを踏むことが大事だと考えていらっしゃいますか?
俳優業に夢見てる人は今の時代にはもういないんじゃないかなって思います。他人が書いた台本のために魂削るのってなんだろうって思うし。主演俳優が作品も総合プロデュースしているのが主流になればドラマや映画も観る気起きますけど。プロセス…そうですね、自分自身も何かを達成していないので非常に難しいです。これは持論ですけど、各業界、専門的な知識を積むことよりも最後は情熱だと思ってます、今は。あとは自分が主人公だと思わないこと。上昇志向も度が過ぎると大切なものを見落とすし、堕落や妙な謙遜が過ぎると物差しが歪んでしまいますからね。陰口とか人の悪口大好きな人、お金にルーズな人とは距離を取っていくのも大事。でも、何より自分は誰かの人生の超脇役なんだってことを理解するとクリアになることがあると思います。

ー 改めて夢についてお尋ねしたいのですが、既に色々な成功をおさめているなかで、何か今の夢はありますか?
あります。12月1日にSpotify O-WESTで開催する「KHIMAIRA-SCUM PALACE-」を経てからしっかりと言葉にしたいので、まずはその日をイベントオーガナイザーとして、若いバンドの仲間として満員にしたいです。

ー 最後の質問ですが、現在ここまでクリエイティブにご活躍されている一番の理由は何だと思われますか?
才能がないことじゃないですかね。才能がないから、根性で生き残る方法をずっと考えてこれた。一時期の繁栄からするとだいぶ衰退して見えるヴィジュアル系シーンにも、これまでの自分と同じものを感じてます。言葉を選ばずに言うと、一度廃れたジャンルだからこそ、わざわざ今ヴィジュアル系をやっているバンドには強靭な意志とプライドと根性がありますよね。僕も同じ気持ちで、自信も人気も失った自分だからこそ表現できるメッセージや生き様が伝わる動きをしていきます。自分を一番信じてるし、一番疑ってるから今ギリギリなんとかここにいれてるんだと思います。
インタビュー・文:Mazlina Olga
写真:山内秀一
山内さんについての詳細やSNSは、以下のサイトをご覧ください。
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